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□Yumiさんのコラム□

07/1/20 『花嫁のお仕度は?』
06/2/16
『インドのお見合い事情2』
05/10/27
『インドのお見合い事情』
05/2/28『オリッサの結婚事情』

04/10/1『透馬の日本探検』
04/5/1
『オリッサ州での葬儀』

 Gayatriさんのコラム

05/3/20『シュリンゲリバス旅行』
04/11/1
『朝のプージャ』

 

■Column from Orissa!(6)■.........毎回、オリッサの習慣や出来事を、現地に暮らす方々のご投稿。

オリッサ絣織サリー。花嫁必需品

花嫁のお仕度は?』

インド人というのは素直な人たちである。
顔立ちがはっきりしているせいか(それだけではないかもしれないが・・・)、思っていることがすぐ顔に出るし、かなりの場合、口にも出す。つまらなければ本当につまらなそうな顔をするし、不満なら、思いきり不満な顔をする。
幸か不幸か私たちは人の顔色を伺う癖がついているので、このように気持ちがすぐ顔に出るインド人は比較的扱いやすい。
ただし素直なのは結構だが、物をねだることにもごく素直なのにはちょっと閉口する。最も本人たちはそれほど期待もしていないし(というのは、インド人同士の約束は守られることはほとんどないことを彼らはよく知っているから)、ダメもとでおそらく言ってみるだけなのかもしれない。ただ私たちは、やはり気にしてしまうし、時には腹も立つ。
ちなみにインド人に何かねだられたら、本気にしないほうがいいです。「今度ね!」これですみます、大体の場合。

おそらく覚えがあろうと思いますが、子供の」ころ、「世界昔話」というのを読むと、インド人というと必ずといっていいほど「欲の深い」という形容詞がついていて、子供心に「インド人っていうのは欲張りなのか!」と思ったものだ。しかし、欲の深いインド人というのは、いつもどこかこっけいなイメージもあった。「欲の深い」といういやな響きの形容詞にインド人という名詞がつくと、なぜか妙に納得してしまうというか、なんだか許せてしまうような感じがしたし、今でもそんな気がするのは私だけだろうか。もっとも彼らは「世界昔話」の中で自分達が「欲が深い」などと形容されていることなどとは夢にも思っていないだろうし(よくわからないのだ、自分たち?インド人の国民性?は恥ずかしがり屋だと思っている人が多いらしい)、もし知ったらプライドの高い彼らのこと世界に向けて、きっと抗議のデモでも起こすことだろう。

さて、欲が深いといって思い出すのはダウリのことである。
ダウリとはご存知のとおり、花嫁の持参金、つまり、「花嫁仕度」ということである。現金でもらうこともあるが、オリッサの中流家庭では現物支給というのが多いように思う。日本でも名古屋などはそれで有名であり、娘を3人持つと身上がつぶれるというあれである。
余談であるが、昔私が日本でOLをしていたときに十万円もするアイロンの販売の仕事で名古屋に行ったとき、売り場に来たお客さんが、「あら、いいわね。今度嫁が来るときに持ってこさせようかしら」といったのを聞いて、うわさには聞いていたが・・・・・と思った記憶がある。しかしインドのそれはやはりもっとすごいのではないだろうか。

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■Column from Orissa!(5)■.........毎回、オリッサの習慣や出来事を、現地に暮らす方々のご投稿。
 第5号が届きました!
今日のプリーです。
庭先のマンゴーの木に花が満開。
花自体そんなにきれいじゃないけど、この一つ一つの花が実になるのは、いつ見ても感動。
もう、小さい実をつけています。
これ、漬物になるけど、ホーリーが過ぎるまで食べちゃいけないんだって。
今年は3/14です。実が売れるのは、市場より少し早くて、4月下旬ごろ。今年は食べられそうです。
収穫が今から楽しみ。
2/18 by yumi

 

去年の甥っ子さんの聖糸式にて。

ジャー(義弟の嫁さん)と一緒に。

 

 

 


インドのお見合い事情2』  マダム ユミ スギウラ ラタ 06/2/16

 帰りの車の中で、「どうだった?」「由美はどう思う?」
「じゃあ、早速娘さんを見に行くよう勧めてみよう!」
しかしそうこうしている間にもうひとつ違う話が持ち上がった。前回の娘さんの家は、かなり不便な田舎にある。
実際、車で彼女の家に行くのはとても大変であった。橋のない川に車がはまってしまったり、道幅の狭い田舎道を畑に落ちそうになりながらやっとの思いでたどり着いたほどだ。 これは義弟にとっても何か引っ掛かりがあったのではないだろうか。
新しい話は都会のお嬢さんである。しかも送られてきた写真からみると、色白で美人、おしゃれですらっと背が高くてスタイルがいい、しかも若干23歳のぴちぴちである。 彼は、色の白い女の子が特にお好みのようだ。彼女の白さといったら、日本人とはいえ万年日焼けをしてしまっている私よりは白いくらいだ。

このときの下見には私は参加しなかったが、みなの意見は「今度の娘の方がいい!」
というものだった。当人もその気になって、今度はすぐに彼女の実家に尋ねて行き、OKのサインを出した。 インドの男性にとってこのお見合いと言うのは、なかなか気分のいいものなのではないだろうか。 何しろ彼にとって一世一代のヒーローになれる時である。 多少太ってても、色が黒くても、たとえちょっとくらい不細工でも、「選ぶ権利」があるのだ。 普段なら、「お前はブスだ、色が黒いからいやだ!」などとはいっていられない。

しかし当人同士が顔をあわせるといっても、これが驚きである。その会見たるやわずか1,2分ほどである。 人生で一番大事なベターハーフを見定めるのに使う時間が1,2分とは。 二人の間で会話を交わす事はあまりないのが普通である。「見たか?」「うん、見た!」
「OKか?」「うん、OKだ。」てなもんである。

インド人は普段からものすごく外見を気にする。生まれたての赤ん坊の時から母親あるいは祖母が、オイルマッサージをするのが日課となる。(大家族ではふさわしいおばあちゃんの役割で、この図を見ているとほほえましいのだが、私の見たところ、ちょっと扱い方が乱暴である・・・・笑)
余談だが先日実家に遊びに行ったら、義母が義妹のところで生まれた女の子のマッサージをしていたのだが、鼻が高くなれと鼻をぐいぐいつまみ、おっぱいが大きくなれというのか、乳首をぐいぐい引っ張っていた。ちなみに赤ん坊は、不快のあまり泣きどうしだったが。
髪が伸びるころには、毎日せっせと油を塗りたくり、櫛できれいに梳かす。我が家でも、夫は髪をとかす事に関して非常にうるさく言う。自分はいつも鏡とにらめっこをしてピシッと決め手からいくのであるが、私が超短髪の息子の髪にめったに入れないのが不満なようで、よくしかられるのだ。 少しでも怪我をしていたり、できものができていようものなら、「どうしたんだ、どうしたんだと」うるさく質問してくる。「子供の擦り傷なら舐めときゃなおるよ。」なんていう私たちとは大違い。

でも、こういうものの積み重ねがお見合いのときに功を奏するのだろう。
わずか1,2分の会見で、相手の性格やら何やら、見抜けるわけがない、では、どうするかというと、見てくれで決めるしかないでしょ?日本では「美人は3日で飽きる、ブスは3日でなれる」というが、まあ、第一印象と言うのは大事な事に違いない。誰だって、不細工な連れ合いより、見目麗しいほうがいいものだ。

 さて、話を元に戻して(あまりに脱線が多くてすみません)、義弟のその後の事であるが、義弟のOKの返事に、今度はあちらの家族が品定めにやってきた。 こちらの家族は、インドでは珍しい本当に控えめでおとなしい家族なのである。普通、女性側の家族が強気に出てくるという事はあまりなく、本決まりになるまでは女性側からはあまりたずねてくる事もない。 いや、やってきた彼女のおっかさんは、見るからに気の強そうなオバさんである。彼女の矢継ぎ早の少々失礼とも見える質問に(聞きにくいところをズバズバットきいてくる)さすがの夫もたじたじである。

日本人として私は、なんだか不安になった。当人にはあっていないが、私たちの常識からいって、こんな母親に育てられた美人の娘って言うのは、・・・・・・ではないか? 気になって、私は夫や気の置けない付き合いの義妹たちにそれとなく言ってみたのだが、誰もそんな事は気にしている様子もなく、「確かにお母さんすごかったけどさ、別にお母さんと結婚するわけじゃないから・・・・」っと、のんきなものである。 オリッサ人は本当に深読みしない、素直な人たちなのである。
性善説のきわみなのかもしれない。すぐに行間を読んだり、裏を読む癖のついている私たちは彼らのおおらかさを見習うべきであろう・・・・・・とは言ってもあまりにものんきすぎないか?

彼女が嫁に来てから3年。
私が心配していたほどには彼女は性悪ではなかったし、なかなかかわいいところもある。ただ都会の若いお嬢さんの事、プリーのような田舎の暮らし、しかも地味なこの家族の中で、多少浮いてしまうのは事実であり、何かと問題もあるようだが、いまさら何を言っても仕方のないことである。どこの家庭でも、そして、たとえ分かり合って結婚したカップルでさえ、トラブルはつき物なのだから、結局彼らのようにl、同じような慣習と同じような経済状態のもの同士が結婚したほうが、結局はうまくいくのかもしれない。

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■Column from Orissa!(4)■.........毎回、オリッサの習慣や出来事を、現地に暮らす方々のご投稿。

ゆみさん、ご親類の結婚式にて


インドのお見合い事情』  マダム ユミ スギウラ ラタ 05/10/27

 インド滞在も10年を超えると家庭内のいろいろな出来事や問題に遭遇することになる。 もはや高みの見物とうわけにも行かず、直接自分にかかわってくるのだ。
義父がなくなり夫が家長となったことで、私と夫の家族は運命共同体となっていくようだ。
今となっては後戻りできない身がつらい(苦笑)。
 この10年の間に、少女だった義妹や姪たちも結婚適齢期を迎え、独身貴族の義弟たちもそろそろ家族を持つ年齢になっていった。
そんなわけで、私も彼らのお見合いに付き合うこと数回にわたる。
インドでは、まだまだ、お見合い結婚が主流。特に、この田舎のオリッサでは、見たところ、お見合い結婚が95%を超えているように思われる。

 お見合いは、まず、相手探し。これはどこでも同じだが、親戚、知人、あらゆる手段を使って相手を探す。
ただ、こちらはカースト内結婚なので、同カーストであることが最低条件だ。一度こんなことがあった。
久しぶりに親戚が集まった席で、姪のお見合い話が持ち上がった。
夫が、「とても条件のよい人がいるのだけれど。でも、カーストが違うんだよね。」と、いったところで、話は一笑に付されてしまった。
ガイドブック等に書いてあるほどに、カースト問題というのは、現在では、あまり表面には現れていないように思うが、こと結婚に関して言えば、まあ、カースト外結婚など、いまだにお話にならないということなのか。
お見合いも、男性側と女性側では、少し事情が違う。今回は、男性側の話をしようと思う。
まず、相手の見当がついたら、生まれたときに作ってもらう、星占い表を持ち寄って相性等を検討する。それがあったら、お互いの家族の両親、兄、姉などの年長者同士が話を進めていく。本人同士が会う前に、男性側の家族(特に女性たち)が、品定めに行くことがよくあるようだ。

 インドでも核家族化は急速に進んではいるが、このオリッサではまだまだ大家族制が中心である。
大家族というのは、いわゆる夫の両親だけではなく、夫の男兄弟の家族が一緒に住むということである。
つまり、家の中に、舅、姑、そして兄嫁、弟嫁、などなど・・・。そのほかに、未婚の弟妹。
そして、事あるたびに実家に顔を出す既婚の姉妹たち。
つまり、新しい家族とうまくやっていくということは、姑、小姑、その家の女たちとうまくやっていけるかということである。そういう意味で言って、女同士の会合は、重要なことであり、理にかなっていると思う。
これは、私の個人的な意見に過ぎないが、オリッサはもともと母系性だったのではないかと、ふんでいる。

さて、話を元にもどそう。

 3年ほど前になるが、義父の喪が明け、中断していた次男の結婚話が再開した。
それまでも候補はいたが、彼は、不美人だの、色が黒いのと文句をつけて、なかなかその気にならなかった。しかし、さすがに、そろそろ本格的に考えなくてはならない年齢になってきたし、長男である夫は、とにかく、家の事に関しては、金は出すが、労力は提供しないというタイプである。おまけに長男の嫁は、外国人で役に立たないときている。やはりここは、次男に嫁さんをもらってもらわねば・・・・
そこで持ち上がったお見合い話、送られてきた写真のお嬢さんは、なかなかの美人である。それではと、例によって、品定めに行くことになった。メンバーは、長姉夫婦、二人の義姉、未婚の義妹に、姪たち、そして私。女性たちの一行に、こういうことが非常に好きな、私たちの親代わりの長姉の夫が白一点。
迎え撃つ相手側も女ばかり。相手側の父親など男たちはちらと顔を出しただけである。
こうして女同士の穏やかではあるが、さぐりあい・・・・かな?
ただ、やはり、女性側は選ばれる立場として、かなり下手に出る。お茶や甘いものが運ばれ、そして美しくサリーを身にまとった本日の主役が、兄嫁さんなどに手を引かれ、緊張の面持ちで入ってくる。そして年者たちの足に手を触れ挨拶をする。この挨拶は、「プラナーム、あるいは、この地方の言葉では、オリキ」といい、結婚前の少女には特に強いられないが、結婚したら、一人前の女として、年長者に対する大切な挨拶の作法になる。個人的なことだが、私は、自分がするのはいくらでも平気であるが、人にされるのは、本当に苦手である。
選ぶ側の私たちはまさに品定めの目で、その家の様子、もてなし具合、そして娘さんの様子などを観察する。そして「名前は」とか、「学歴は?」とか、そんなことをそれぞれが質問する。そこで、「ご趣味は?」などという個人のパーソナリティーに関する質問はされないのが普通だ。もちろん、そういうことが、タブーということではなく、そんなことは眼中にないのだということがよくわかった。
読めえればいの最大のポイントは、とにかく「器量」である。彼らの中には「よい娘イコール色白美人」という図式が成り立っているようである。そして、次に、やはり、財力、持参金の額である。

 私たちが普通重視する「性格」とか「気立て」というものは、あまりというか、ほとんど見ないようである。
実際これには非常に驚いた。
私の目から見て、このときあった娘さんは、非常に美人だったし、両親を始め、とても感じのよい家族だったので、こういう家に育った娘さんなら気立てもよいだろうということは、彼女の顔立ちからも想像できた。 帰りの車の中は、一様に、肯定的な雰囲気であった。                  つづく・・・

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■Column from Orissa!(3)■
         puri にて

『オリッサの結婚事情1』  マダム ユミ スギウラ ラタ 05/2/28

 冬の結婚式シーズンが終わりました。

 我が家でもこの1月、2人の義妹が結婚式を挙げました。ヒンドゥーの結婚式のシーズンは、1年に2回あります。まず酷暑の5〜6月、この時期の結婚式はかなり辛いです。なにしろ40度をこえる中での行事ですから。そしてベストシーズンは12月〜2月にかけて、インド暦で決めるので、毎年多少のズレがありますが、だいたい日本のように、いわゆる大安吉日のような日があって、「何日と何日」というように暦に書かれています。なので、その日には街中何十組もの結婚式が行われることになります。招待される側も2、3かけもちで出席する場合も多々あります。我が家でもお年頃の義妹達、妹達をかかえ(もちろん弟も...ですが、これは、まあ)人生最大イベントの為、おおわらわです。

 義父を亡くし、夫は名実共に家長となり、3人の姉はともかく6人の弟妹の面倒をみなければなりません。その中で一番の大役は、義妹達を嫁がせること。3人の妹のうち、上の妹は義父が健在の時に嫁ぎましたが、不幸なことに彼女の夫は、彼女と生後半年の息子を残し、あっけなく交通事故で亡くなってしまいました。それは結婚1年半のことでした。その後息子と共に実家に戻り、今に至ります。

義父の死後は喪があけて、次男が結婚し、そして今回下の2人の妹達が結婚式を挙げました。

 インドでは兄弟姉妹が一緒に結婚式をあげるのは割とよく見られます。理想的なのは兄妹の組み合わせでしょうか。御存知の通り、インド女性の結婚には持参金制度の習慣があります。これは法律的には禁止されています。(確かインディラガンディー政権時代に)ですから、強制した場合、訴えようと思えば訴えることはできます。ただそんな家の娘と結婚したがる男は、まずいないでしょうねえ。娘をどんな形でも嫁がせること、それこそが親の関心事、その為には多少無理をしても相手の要望に答えようとします。(しかし、お金に汚い家族に嫁いだ場合、たいていはその後も問題が多いものです....が、その辺少しも思い付かないインド人は、人がいいなあ、と私は思ってしまします。)

それでもなるべく負担を軽くするために、いろいろ算段するわけです。例えば、兄妹の結婚を同時にすれば、兄がもらった持参金を妹にまわす、とう手段はごく一般的。取られたら取り返せ!って?なるほど、これでは持参金制はなくならないでしょうね。

 実は今回、三男とまん中の妹の結婚式をするわけでしたが、弟は「やっぱりやめた!」というわけで、妹1人の予定になりました。しかし結婚式の2ヶ月前、下の妹の話がバタバタと決まり、2人一緒の結婚式となりました。

 さて、次回は「インドのお見合い事情」について、お話ししましょう。Copyright (c) since 1st April 2003
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■Column from Orissa!(2)■
第2号、オリッサ州の聖地プリーに嫁いだ、ホテルガンダーラの マダム ユミ スギウラ ラタさんです。   puriの海辺で2004/2/23

透馬の日本探検』  マダム ユミ スギウラ ラタ 04/10/1

3月が近くなると息子がそわそわしだした。3年生への進級試験が終われば4月か ら2ヶ月間の日本
での休暇が待っているのだ。 去年、物心がついてから初めて日本を訪問した。8歳のインド育ちのそ
の大きい (インド人からみたら小さいですが)目に、その 日から、日本はあこがれの国となっ たのだ。

 今回は、去年の息子の初めての日本体験についてお話しようと思う。
彼の生まれ故郷は、東インドのオリッサ州、インドの中でももっとも貧しい州の一 つとされている。
その小さな海沿いの田舎町(プリー人に言わせると、都会だというが、それは「井 の中のかわず」と
いうものである)、プリーである。 彼の知っている都会というのは、州都のブバネシュワル、それよ
り少し大きいカル カッタぐらいのものである。そんな彼がいきなり見た日本は「近未来都市」だった
よ うだ。
成田まで迎えに来てくれた祖父母のスイッチ一つで窓が開閉する「超近代的な」トヨタカローラ(と
いっても、10年近く乗っているものですが)のリアシートにおさ まり、祖母の持ってきたタッパー
いっぱいの取れたての大粒で美しい栃乙女(私の故 郷は栃木でいちご、栃乙女の産地である)をほと
んど一人占めの状態でほおばってい た。
 数年前、一度だけ、カルカッタのバザールで見かけたちょっといたみはじめた小さ ないちごを「お
いしいねえ!」と、目を丸くしながら食べていたっけ。いちごの味を 知っている私にとっては、ただ
懐かしいというだけの味であったけれど。 家について、まず、用足しに行った息子は、手を洗う蛇口
を捜した。「蛇口がない よ!」と不思議に思った彼の手が、センサーに触れたのか、自動水道から水
が突然出 てきた。 それから彼は、用もないのにやたら、トイレへ手を洗いに行くようになった。
ウォッシュレットにいたっては、もう、感動の一言である。これには夫も同じく感 動していた。
 インドではご存知の通り、手動のウォッシュレットである。 これは小さい子どもや、馴れない人に
は、相当難しいものである。ときに太った人 など自分でできないそうである。そりゃあ、インド人に
とってはまさに「すばらし い!」の一言であろう。

 一休みをして近くのスーパーに買い物へ出かける。どこの町にもあるちょっと大きめなスーパーマ
ーケットであるが、まず入り口で彼が歓声を上げた。 曰く・・・・「オートマティックドアル」
息子の声は良く通るのだ。しかもものすごいインドなまりで「ドアル」ときた。 周りの人たちの視線
なぞ全く気にしない息子はエスカレータ、エレベーター、とにかく自動となのつくものには、なんで
もいちいち感動していた。
特に自動販売機は、夢のようで、出かけると用もないのにやたら喉が乾いた。 お店で祖父に、「透馬、
何買ってあげようか?」と言われると、「うわあ、どうしよう?」こんな山のような商品の「選択肢」
など見たことがない。もう、なにがほしいのかもわからない。でもなにか買ってもらわなくちゃ。ただ
ただ目を丸くするばかりである。
後日、知り合いの人が、輪島の朝市に案内してくれ、その時の写真を送ってくれた時、息子は一言、
「うーん、これじゃだめだよ。僕ね、生協の写真がほしかったの。だってこれじゃインドと同じじゃない!」
日常茶飯事、我々の朝市の市場のノスタルジアなど、くそ食らえの透馬である!

 もう一つ、彼を夢中にさせたもの、それは新幹線である。 操業以来40年常に世界のトップを走り
続け、しかも40年間無事故である。 考えてみれば私たちはプリーからカルカタまで約500キロ、
夜行列車に乗って、12時間かけて旅してきた。昨今のインドの鉄道は老朽化が激しくひどい時は月
に一 度の割合で結構な事故が起きている。
インドの鉄道はイギリスとうちのおかげで、何と日本のそれより100年も早く整 備された。 鉄道網
もたいした物であるが、その後の発展もなく、そのままである、世界最大 80万といわれるインド国
鉄の職員は、日がな一日どろんとまどろみながら日々を過 ごしている。
 インド人たちの(息子の友達や先生)新幹線に対する反応は?「え?これが電車?ロケットかと思った!」
だそうである。日本を訪れるまで息子は「メイド イン インディア」であった。 インドを愛し、インド
人であることに誇りを持っていた。そしてある意味で自分が 半分日本人であることにコンプレックスを
抱いていた。インド人の愛国心(?)はか なりのものである。 彼らの中にはいつも「インディア イズ
No1」という思いがある。しかし、それはある意味で、井の中のかわずというも のに近いものがある。
しかしその鼻息たるもの相当なものである。こぶしを振り回し、つばを飛ばしなが らいわれれば、つい
納得させられてしまう。(笑)しかも10億人の鼻息である!

日本を訪れた彼の感想は、「僕ね、日本がこんなきれいな国だと思わなかった!」 率直なうれしい感想である。
彼は、自分の半分の血に自信を取り戻したようだ。 しかし、私たちは、この日本のひづみもまた十分承知している。
短期間滞在しただけの彼には知るよしもない。 今後彼と日本との蜜月いつまで続くだろう?彼がどうやって、
この二つのあまりに かけ離れた素質を自分の中に取り込んでいくのか?これからが彼にとってチャレンジである。
私は息子といっしょに悩みながら、その行く末を見守ってゆこうと思う。

ご意見、ご感想、ご質問などお待ちしています。 インドのこと、オリッサのこと、話し合いませんか?
インド、オリッサ料理の作り方、普段着のインドの姿、教育、政治、経済から三面 記事まで。
私自身、いろんなジャンルで興味を持っております。 下記のアドレスまでメールください。

由美さんへmail 
ご意見お寄せいただいたから、数名の方に簡単レシピ付き「手作りチャイセット
(約10杯分)」を、お送りさせていただきます。

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■Column from Orissa!(1)
 第1号は、オリッサ州の聖地プリーに嫁いだ、ホテルガンダーラの マダム ユミ スギウラ ラタ さんです。www.hotelgandhara.com
オリッサでの初期の修行時代から現在まで、常に温かい励ましやアドバイスを下さる、ありがたい理解者。その実体験よるオリッサの
風習や人々の思考形態のとらえ方には、深い洞察があります。オリッサの葬儀についてご投稿いただきました。

プリー、ジャガンナート寺院 
    
2003年6月11日に老衰のため85才で御永眠された、オリッシーの最長老 故グル パンカジ チャランダース氏の追悼会
      
哀悼のスピーチをする故恩師グルケルチャラン モハパトラとグルマー(座) 
            踊りを捧げたsrjanメンバー(楽屋にて) ekdashaha:ご自宅でふるまわれた食事 2003/6/22


『オリッサ州での葬儀』  マダム ユミ スギウラ ラタ 04/5/1

私がオリッサ州プリーの町に嫁いで、早12年になります。
その間,本当にいろいろなことがありました。
あれからもう3年になりますが、義父が心筋梗塞で、突然亡くなってしまいました。
常夏の国とはいえ、1月の未明のことだったので、その寒さが悲しみをひときわ身にしませたように思われました。
「ラーム、ナーム、サッティア ヘー」「ラーム、ナーム、サッティア ヘー」(神の名こそ真実)
病院から無言の帰宅をした義父は、その小柄な身体を小さな担架に身を横たえ、泣き崩れる女たちに短い別れを告げ、「ラーム、ナーム、サッティアヘー」の掛け声とともに、「サルガドワル」(天国の門)と呼ばれる海岸沿いの火葬場へと運ばれていってしまいました。
オリッサでは、いわゆるお通夜にあたるものはありません。人が死んだら、できるだけ早く火葬にするのが家族の第一の務めです。それは死者の魂を一刻も早くもとの清浄な魂に戻し、現世の生活や肉体からの執着を断たせるためだといわれています。
しかし、おそらくは、暑さのため、遺体の傷みが早かったというのが実際のところではないかと思いますが。
私たちは、実家から独立して、住んでいましたので、
夫は「今日から僕は、実家でご飯を食べるから、ご飯は作らなくていいよ。」と言い、その日から9日間。夫は毎日お昼ご飯を食べに実家へ帰っていました。
9日間の食事は、マサラと油脂類を使わない菜食の食事を日に1度昼食として取ります。
この地方では主食は米なので、主に炊いた米とダルと呼ばれる豆のスープの中に未熟のバナナ、、里芋、瓜類の入った郷土料理であるダルマと呼ばれる料理が出されます。菜食と言っても、この場合は玉葱、にんにく、青唐辛子なども使うことが禁じられていますので、味は塩と生姜でつけます。
12日間の「喪」の間に、4日目7日目9日目の晩には、「プラサード」(ジャガンナート寺院で作られる特別な食事)が、僧侶、親類、友人たちに振舞われ、家族とともに、故人をしのびます。
そんな喪中のある日のこと、夫が何気に、
「僕、臭いかなあ?」というので、「どうして?」と、問い直すと、
「お風呂に入っても石鹸やシャンプーを使っちゃいけないんだよ。」というのです。
私が驚いて、「どうして?」と聞いても、判らない・・・・・そうで。
それで、他に?ときいてみると、この9日間は、家族は水浴は毎日するが、石鹸等は使わない、髪にくしを入れてはならない、つめを切ってはならないなどの禁止事項があるとか。
嫁であるけれど外国人である私に夫の家族は気をつかってか、何も言わなかったので、本当に驚きました。
さて、10日目の朝がきました。
この日は、「ダサハ」と呼ばれる得に重要な儀式が行われます。
私たちは朝から断食をし、夫の実家にも続々と親族たちが集まってきました。集まってきた老若男女は、いつもと違い、皆古着を着ています。
男性のグループは朝からガート(木浴場)へ向かい、そこで夫と3人の弟たちの髪をそる儀式が行われました。
一方、実家の方では女達が爪を切ってもらい、アリタと言う赤いインクで足に装飾を施してもらいます。
それがまだ終わっていない女たちは、もう準備の終わった者達に、
「わたしにさわらないで!」と声をかけます。お腹をすかせた子供たちは、ビスケットをかじりながら、駆けずり回り、台所の方からは、大なべに、久々のカレーの匂いが立ち上って、料理人たちが、忙しく食事の支度をしていました。
準備が終わると、みなでガートに行き沐浴をします。男性グループは、すでに皆ドーティーを身にまとい、沐浴の準備が整っています。それぞれ、オイルとターメリックを身体にすり込んでから水にはいります。真冬の水浴は、さすがにちょっと勇気がいりました。水から上がると、用意されていた真新しいサリーに着替え、着ていた服は、すべて貧しい人たちへの施しになるそうです。そういう訳で皆古着を着ていたのです。
着替えが終わると、真っ白いサリーに身を包んだ義母を先頭に、その横を嫁である私が肩を抱くようにして付き添います。そのあとを女達が、続いて男たちが、はだしのまま長い行列を作って、家まで葬式行列が行われます。
家に帰るとマサラや油脂類を使った菜食の食事が参列者に振舞われました。
死者の魂は己の肉体を捜して死後3日間火葬場を、続く5日間はガートを、そして次の3日間は家の回りをさまようと言われています。ですから、魂の浄化は、この最後の11日目の深夜に行われると考えられています。10日目のダサハの儀式は、家族が身を清め、11日目に行われる死者の魂の浄化の儀式に備えると言う意味があるのだそうです。
そして11日目、私たち家族の女たちは朝から野菜を切り、みなで食事の支度をしました。ダル、野菜カレー,ピタ(あげパンのようなもの),キリと呼ばれる乳粥などが作られます。途中夫がやってきて、女たちと一緒になべをかきまぜたり文句を言ったり。それでも、普段からプージャー嫌いの息子が、亡き父の魂に捧げる食事を作るなべを自らかき回す姿を、義母がうれしそうに見ていました。
この日は私にもお勤めがありました。出来上がった料理を儀式の行われる部屋へ運び、神、先祖、義父のために用意された、3枚のバナナの葉の上に配膳します。それが嫁の仕事なのだそうです。
初めて義父と食事をとったとき、お盆に盛られた山盛りのご飯を思い出し、
「お父さん、たくさん食べてください。」と、他の二つより少し多めに盛り付けました。
この日のお祈りで義父の魂は現世への執着を断ち、完全に浄化されて天界に帰っていくのだそうです。
12日目。この日は、天界に戻った義父に対するお祈りが行われます。
そして、家族は、この地方ではご馳走である魚のカレーを皆で食べて、12日間の葬儀の締めくくりをしました。
「さあ、これから、掃除に洗濯よ!」と、葬儀の間泊り込んでいた姉たちが、帰り支度を始めました。
これから家に帰り、身の回りを清めるのです。
皆を見送った義母のどこかあきらめたような笑顔がいつになく淋しそうに見えました。

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